Sud de la France en Septembre

ーー2週間のロンドン滞在の次は、南フランスに向かった。セザンヌマティスくらいしか知らなくてなにも想像もできていないのに、魅力的にひびく地名たち。きっと、太陽がいっぱい。それだけですごく楽しみだ!

■8月30日, London→Paris
イギリス全土の飛行機が飛ばないという大ハプニングによって足止めされていたが、陸路を通ってパリに着陸。井上くんは、わざわざ駅の前まで我々を迎えにきてくれた。彼の軽さと親密さ、距離感、なにもかもが心地よくて、私たちは二人ともすごく嬉しくなった。リョウスケは、珍しく饒舌にさえなっていて、早く寝ようと宣言したものの、結局は夜を深した。深夜、爪を切ると体重が軽くなる気がするという、わたしの楽しみを共有し、爪切りダンスをそれぞれのスタイルで踊った。


■8月31日,クレオール料理と上機嫌なシェフ
朝8時に街角のカフェでエスプレッソをぐいっと一杯という予定を立てていたけれど、案の定起きたのは11時半。お昼は井上くんのオススメの、どこかの国の料理を食べた。
シェフは最初とても不機嫌だったが、井上くんが2回目以上と気づくと鼻歌が厨房から漏れ出して、あれこれジョークを言い始める。思ったよりもゆったり食べてしまったので列車の時間が迫り、慌てている旨をお店に伝えてもらうと、「急いでいる時にこの店は来ちゃいけないよ」と言われ、「まだキッチンで魚は泳いでいるし、鶏は元気に生きている」とのこと。そう言いながらマッハで出してくれる愛嬌。ちなみに日本語と全く同じテンションで、ぺちゃくちゃフランス語を話す井上くんを見ていて、言葉が自由ってとっても素敵だなあと二人で改めて感服した。(あとで聞いたらここはクレオール料理で、あのおっちゃんはマダガスカルのお隣、レニユオン島出身だそう!)

そのあとは1週間分くらいのパッキングを10分くらいで終わらせて、ダッシュで南仏行きの列車に向かったが、駅を勘違いしていたせいでギリギリ間に合わず。課金をして1時間後に乗車。まあ、そんなもんでしょうか。

■9月1日,Marseille昨晩8時ごろにマルセイユに到着。ロンドンからパリ以上に、パリからマルセイユは一段と治安が悪そうな空気だ。昨日のシェフも撃たれるぞ、と冗談を言っていた。(その後、本当に銃撃のニュースがあったし、日本領事館のHPには身を縮めるような犯罪が列挙されている。)宿に到着すると写真と実物にあまりにも差があり、最初は正直かなりげんなりしたけれど、翌日の今日、陽がのぼってから街に出ると、最高であることを知った!地球は面白い。夜と昼とでこんなにも表情が変わるなんて。日本にいるときには忘れてしまっていた。

こちらはカラッと晴れていて、確かに南に来た感じがする。それ以上に、汚くて雑多なこの街の人と空気がカラッとしていて明るい。冗談も頻発するし、異国の人にもフランクだ。そして電動キックボードが凄まじいスピードで走り抜けていく。東京でいつもキックボードに二人乗りしていて(電動じゃないやつ)、よく友人に面白がられていたが、こちらは電動2人乗りがちっとも珍しくない。3人乗りもいる。日本とは速度制限が違うらしく、ぽおっとしていたら簡単に引かれるだろうし、びっくりするほどその辺に投げ捨てるようにあるけれど(まず立たせるんじゃなくて、横になぎ倒されている)、この街の自由さをそのまま示しているようで、スカッとする。ホテルの施工があまりにも雑すぎて窓のドアノブも金庫も壊れていることも、街を歩いたら、まあこれがマルセイユかなと思えてきた。

そしてこの街の風景も気に入った。細くて急勾配の坂道に石造りの建物がたち並び、足元では人々が目まぐるしく行き交っている。その隙間を路面電車が走りさる。(さらにそれを電動キックボードが爆速で追い越していく。)夕陽で街が赤く染まりだすと、太陽に群がるように港には人がひしめき合い、少しでも太陽の近くへと海に体を乗り出していた。
それで、これまではギャラリーと美術館ばかりを回っていたが、この旅で初めて街と店に興味が湧いて買い物をした。魔女みたいな1815年からある薬草系のファーマシーと、1827年からある台所の道具からあらゆる生活雑貨が所狭しとならぶ広大なお店に出会えて、心躍った!店の扉を開けるのは、時空を超えた世界に飛び込んでしまうのではないかとドキドキした。あの店にいくだけにここを訪れたい。毎日行きたい。それではパロサントを焚いて、カモミールティーをすすりながら、今宵は疲れた体を休めましょう。

■9月2日,Aix-en-Provence
シャトルバスに40分ほど揺られて、今日はエクスプロヴァンスへ。マルセイユは色んな母語の人がいて中東っぽくさえあるけれど、ここは宣材写真のなかのフランスという感じだった。乾いた空気に白い木肌のスズカケの木が揺れて、木漏れ日が古い街並みにかかっている。とにかく光が美しい。でもなんだか美しすぎた気もした。
一方、道中でマルセイユを思えば、鍵というか取手そのものが壊れていて、その穴にティッシュを詰め込まれたひどいホテル(それでも1泊1万以上するという…)の窓から誰か侵入しやしないかと急に不安になり、体に悪かった。エクスから持ち帰った美味しそうだった中華デリがなんともで、いよいよ疲れが出てきた日である。

もう少し言及するならば…/黒いちじくがあちこちに生えていて羨ましい。セザンヌのアトリエの庭で一つ味見してみるべきであった。/Musée Granetでみたナポリの宗教画が恐ろしすぎて、キリストのハリツケという処刑方法がいかに残虐だったのかを構造的に理解し、急いで逃げた。よくそんな方法を思いついたな…と思う。/など

 

■9月5日,Arles
おはよう。今日はアルル3日目。数えてみたらこの旅23日目のよう。アルルはこれまで訪れた街のなかで、一番時間流れがゆっくりだ。ゆっくりすぎるくらいが、わたしたちにはちょうど心地よくて滞在を1日伸ばした。もうちょっと伸ばしてもいいくらい。

今は、滞在先から歩いて数秒の角にあるパン屋さんのテラスで、朝ごはんを食べている。昨日通り過ぎたときに、お客さんのおじさんにおすすめされて、明日はここに!と決めていた。今、私たちの隣では、おじさん3人と犬がずっとおしゃべりしていて、店にはひっきりなしに人がやってくる。バケットを脇に抱え、ご近所さんたち同士で挨拶をし、まだ強くなりすぎない午前の光と風がそっと吹いている。ノーリードでお散歩中の大きな犬も、走り去る子どもたちも、素敵なバッグにバケットを入れたご婦人も、なにもかも心地がいい。

この日記のすぐ後に、昨日ここをおすすめしてくれたのは、マダムだったと気づく。ごめんなさい!エスプレッソを飲みに今日もやってきて、再会できたからだ。そしてフランスのこと、LGBTのこと、あれこれ話をすると「この後も時間ある?」と聞かれて、ギャラリーや美味しいお店を一緒に街をまわって教えてくれた。ギャラリーのレセプションパーティにまで繋げてくれる様である。優しすぎて、いよいよ変な場所に連れて行かれるのではと焦ったけれど、ただただ、優しかった。見知らぬ若者たちに街を案内できちゃう大人になりたいと思った。(でも、ここがマルセイユだったら、多分絶対について行かない方がいいね!)
ちなみにこの間の日曜日は、広場でぼんやり休んでいるときにリョウスケがiPhoneを落としたのだけれど、教会に来ていた素敵なアルルの民族衣装を着た地元の方に届けてもらったという呆れたエピソードもある。この街の人はみんなやさしい。そして本当に滞在日をもう1日伸ばすことにした。

 

■追記:Arlesについてアルルは、ちょうど写真展が開催中だったので訪れた。Kyoto Graphieの元になった芸術祭だそうで、町中のあらゆる場所を使って展示がされていて、この4泊5日の間飽きることなく展示を巡った。きっと普段は入れない場所や中心街から離れた所もあり、街のさまざまな顔が見れたし、何よりホワイトキューブではない有機的な空間だからこそ、空間と呼応させる工夫やチャレンジのある展示設計は、見応えがあった。
個人的には、いつか必ず見てみたいと思っていたSaul Leiterの絵が見れたことが本当に嬉しかった。写真も素晴らしいけれど、彼の絵の軽さと色は、自分が絵を描きたいと思ったきっかけだったと言ってもほとんど相違ない。(ドキュメンタリー映画「In No Great Hurry」をぜひ見てほしいところ。)実物をみると、今自分が好んで使っている黄色や黄緑、紫は、ほとんど同じ色で、影響を受けていることを感じた。いつかその日がきたら、ハガキより小さな1枚の絵を買えたらいいなと思う。それから写真でいうと、Dolorès Marat(Born in 1944)と、Vhristopher Barraja(born in 1997 in Nice)の二人の作品が特に惹かれた。

そしてアルルの旅は、宿に恵まれた!結局滞在を2日も伸ばすことになったのは、Airbnbのせいでもある。アルルらしい白壁の古いお家で、細い階段をぐるぐる上がると屋上があった。夜8時くらいにようやく、ゆっくりと暗くなる空と赤茶色の屋根、空を横ぎる鳩を眺めながら、ほとんど毎日ここで夕飯や晩酌をした。ある時、1日を終えて階段を上がると、ホストと素敵な友人方が集まって楽しんでいるようだった。ちょうどシェイクスピアについて議論していて、その隣には、いつも困り顔の老猫Chatonが両手を丸めている。Chatonはいつもいい時にやってくる。"子猫"という意味の名にも関わらず、ふくよかで大きくて、白い体は冒険で薄汚れているので、ホストのElizabethは「あら、ベージュの絨毯の上だとちゃんと白く見えるわね」と笑った。芸術と生活の距離の近さ、気さくでゆったりとした空気。ずっとここに身を置いていたくなる。そしてホストのElizabethは、とりわけ親しくしたわけでもないけれど、ちょうどいい距離間と陽気で軽やかな空気をまとった人で、彼女の家で暮らすことは全身で心地よかった。家は、住む人によって作られていくんだなあ。


■9月7日,マティスの教会
4泊滞在したアルルをやっと出発して、南フランス最後の場所へ。ラストはニースの郊外にてマティスを観る。これからマルセイユで車を借りて向かうのだけど、こちらのルールと左運転に慣れられるかどうか、昨日からドキドキしてる。特に回転式の交差点。一生出れなくなったらどうしよう。こちらはMT車の方が殆どで安かったけど、やめた。
ちなみにアルルを出ようと駅に向かう途中で、「また来てみたいわね」とリョウスケがぽつり。彼が何かを所望するのは珍しいので、なかなか気に入ったみたい。でも本当に!次は彼の写真展として来ることができたら、そんな嬉しいことはないわね。

(追記)ぎゅうぎゅう詰めの路駐の中で、奇跡的に1台空きスペースを見つけて、無事ファーストミッションだった駐車を終えると、長谷川先生から必ず行ったらいいと言われていた、マティスが設計した教会を訪れた。
あれ、ここでいいのかなという小さな場所。キリスト教の教会にある、原罪という重くのしかかる湿度、声を足音を最小限にしたくなる空気、そういうものがまるでない教会だった。太陽に照らされる白壁はむしろ眩しくて、執拗な厳粛さは要らないとカラッと佇んでいて、そこに大きく、雑に描かれた(雑というのはマティスに対する、わたしの最大の尊敬と憧れの言葉だ)タイル絵と切り絵のステンドグラスがきらめいていた。最小限の意匠とサイズで作られた椅子や、祭壇にある軽やかな十字架、細部まで彼の思想と感覚がほどこされている。この土地に降り立って、マティスがやっと見えてきた気もした。ここに来れて、良かった。ちなみに、その後にいったマーグ財団の美術館も素晴らしかったので、ここはセットで必ず訪れてほしい場所だ。

 

■9月8日,ニース郊外のキャンプ場

最後に訪れたニースの郊外は、本当に素晴らしかった。都心の高騰化が進む殺伐としたホテルではなく、いくつも小さな街をこえて向かったキャンプ場の宿は、南仏という王道ルートからやっと、自分たちの旅の形になった気がした。
小さな町と森を抜ける旅路、気さくでゆるいキャンプ場、部屋の窓をあけるとちょうど見えるプールを泳ぐ、お腹がぽちゃぽちゃのおじさんやおばさんたち。客たちは長いと数ヶ月ここに滞在しているのだろう。夜は星がとても綺麗で、川にはヒレがピンクの魚と、羽がブルーのマルハナバチがいた。
そして夜ごはんに訪れた山間にあるTourrettes sur loupという小さな街の様子には、宮崎駿はここが好きだろうな、既に訪れているかなと話した。アルルよりもさらに小さくて、方角が分からなくなるようなカーブと高低差のある石畳みの階段の小道を散策すると、猫とCAVEばかりに出くわす。店先では、イギリスやドイツなどから来たであろう退職後の年とった夫婦が優雅にワインを飲んでいて、我々以外に若い人は見当たらなかった。

ちなみに車の運転は、ルール以上に、ウインカーを出さなすぎる進路変更、狭い道幅、スリリングな周囲の運転が恐ろしくて、ケンカをしまくった。高速で見る事故は、日本のそれと違って激しい。往復どちらの旅路でも、大型トラックが横転して大出火していたりヘリコプターが道路上に降り立ち救助活動をしていて、さすがにびびった。しかもその事故による大渋滞のせいで、路肩をがんがんすり抜けて閉店ギリギリに車を返却する帰宅レースをしたので、身体が何度もギュッとした。無事ミッションコンプリートできた今だから思い出深いけれども、知らない土地で私たちは神経をかなりすり減らすこととなった。それでも車は好きだ。自分たちの時間が、自由が、戻ってきた感じがした。

 

こうして無事、南仏の旅を終えて、またパリへと列車で帰宅。次回は、まさかまさか行くことができなかった青い海たちと、メルカントゥール国立公園に行ってみたい。