PARIS en Septembre Vol.1

意気揚々と始めたブログだけれども、まだ半分も書ききらぬうちに2023年は終わってしまった…!(苦笑)写真を選んでいると、それでまた後手後手になるので、出しちゃいましょう。時は、9月のパリです。これから1ヶ月のパリ生活が始まるところ。

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9月某日、Back to Paris
パリに帰ってきて、数日に渡ってぐったりと休んだ。暑かったことしか記憶にない。マルセイユで列車に乗り込むとき、これで今年の夏はこれで終わりだと腹をくくったのに。ヨーロッパに熱波が押し寄せているらしい。
初めての外出は、ヴァンブの蚤の市に行ったが、この日もとかく暑かった。暑すぎて、歩いても歩いても続くマルシェはだんだんと喜びでなく、忍耐と化したほど。頭がくらくらしてきて何度も座って水を飲んだ。家に帰ると、エアコンのないパリに息苦しくなった彼が、マルセイユで買ったビーチタオルをひいて上裸で床に寝転がった。この風景は素敵なパリのアパルトマンではなく、ベトナムの民家といったところだ。いいニュースといえば、お昼に作ったパルメジャーノ&レモンパスタがヒット。こちらのパスタ麺はどこで買ってもおいしい!

■パリで出汁を嗅ぐ
今日はOpéraの方で、うどんをすすった。聞けば、この数日の暑さはやっぱり異常らしい。Opéra周辺は日本食屋さんが数百と立ち並んでいて、町中から出汁の匂いがする。それだけで生き返るものがあった。韓国系スーパーで納豆や醤油を買い足して、夜は肉じゃがを作った。

■Polka Galerieなど
ようやく元気になってきた私たちは3区と11区の境目あたりを散歩して、Polka Galerieという写真系のギャラリー、Yvon Lambertというイケイケな本屋さん、Merciなどに行った。Merciではお揃いのエプロンを買うかどうか随分悩んだ挙句、買わなかった。たぶん私一人だったらすぐに買っていると思う。
Polka Galerieはなんとなく心地のよいギャラリーで、Franco Fontanaという1933年イタリア生まれの写真家による山と雲の写真シリーズに目を奪われる。それを言葉にするには難しいけど達観性と言ったらいいんだろうか。いつかまたみたい。あとは最近Morandiが気になるみたい。
夜はスーツ姿の井上くんと合流し、ナチュールのワインバーBAMBINOへ。パリには意外とこういう場所は少ないようで、NYや東京に来た感覚になった。韓国人と日本人がやけに多かったこともあるかもしれないけれど。そうそう、MerciもBAMBINOもそうだったけど、新しいカルチャー系の場所に行くと必ず韓国人の若者に会う。でも日本人にはあんまり会わなくて日本経済の停滞を感じる。その後ふらふらと歩いて、左翼の人たちがあつまるパブと本屋を散歩。井上くんと話しつづける夜が、とにかく楽しい! 

■某日
念願のお花を買った。家にお花を生けると安心する。あと画材を買った。パリでは、井上宅に1ヶ月間もお世話になるので、生活が始まって嬉しい。綾介に至っては、おでかけの計画を立てる気もなく、ほおっておくと毎日のんびりと3人分の朝昼晩ごはんをつくり、洗濯に食器洗いと、家事をして1日を終えようとするので、日本の日常と変わらなさすぎて、ツッコみたくなる。

■9月14日阪神優勝!おめでとう!
阪神タイガースが18年ぶりに優勝をした!わたしは名古屋生まれなので、落合監督が好きだったし、実のところ阪神はなんとなくイライラする存在であったが、井上くんはファン歴18年。パリでも時差に負けず、虎テレから目を離さない。小学校高学年のころ、死者が出るほどに道頓堀に飛び込んで歓喜する姿をニュースで見た時、ここまで人の心を震わせるものは一体なんだと感銘を受けてファンになったそうだ。セーヌ川に飛び込んだらどうかと提案しつつ、帰宅後に優勝ポスターを描いてプレゼントしたら、とてもとても喜んでくれた。わたしもちょっと岡田監督のファンになってきた。

昼はポンピドゥセンターで写真の企画展と、マティスなどをみたあとに、この小さな街に沈んでいく夕日を眺めたりした。


■早起きと、Nicolas de Staël
その後を振り返っても唯一となる早起きをして、朝9時にカフェへ。8時半の起床でさえ体がものすごく重いのは、「今日こそ寝よう!」と言いながら井上くんと語らいすぎて夜が永すぎるから。毎日深夜まで飽きることなく数時間にわたっておしゃべりしている。(何を話していたのか、もうちょっとメモしておけばよかった。)南仏で感じたのは、バカンスの民たちは本当に永遠とおしゃべりしているということだった。何かをするわけでなく、ただカフェで永遠と。口数少なき綾介といると少しそれが羨ましかったのだけど、たぶん今の私たちはほとんど同じ風景をつくっている。

さて、カフェに向かうとき、井上くんの通勤自転車がとてもかわいかった。エメラルドグリーンのビンテージロードバイクで、後ろに全く同じ色のプラスチックケースが取り付けてあり、ブレーキチューブがオレンジに仕立ててある。友人からとても安く譲り受けたそうだ。そうそう、この街には私がずっと探しつづけているプジョーのビンテージロードがごろごろあって、羨ましい。

この旅珍しく午前中から活動しているので、そのまま市立美術館へNicolas de Staëlの企画展を見に行くことにした。初日の熱のある空気のなかで見る展示はなかなかいいものだ。それに、一部屋一部屋とNicolas de Staëlの生涯を追従していくことは、生涯かけて彼が追求してきた「絵とはなにか」という鍛錬そのものを見ることであった。激渋系の作家として、自分の師匠である長谷川先生を思い出したりもした。後期に描かれたボウルに入ったレタスの重力のなさは、ずっと脳裏に記憶されるんだろう。どんどん精度が上がっていく画面を象徴したような一枚だったと思った。しかしどこにいっても日本に同じく美術館は老人ばかりだと寂しさもあった。帰り道セーヌ川のユンスルが美しかった。
夜は郊外にて、Bartabasという著名らしい人が演習した馬をつかったモーツァルトのショーを見に行った。パリで生のオケ!と心踊っていたからこそ、演奏も、なにより馬に乗るのは1名以外長髪ブロンドヘアの白人と、すごく微妙だった。でも「すごく微妙だった」とブツブツ言い合いながら、3人で帰宅するのはいい時間だったね。


日本食パーティ
今日はマルシェで日本食用の野菜を調達。ERINGI,SHITAKEなど。K martで豆腐などもゲット。大根も食べたかったけど高いし、しなびているしで断念。こっちで日本食のおいしい野菜を見つけるのはすごく難しい。で、カミーユと友人がやってきて一緒に日本食ホームパーティをした。言語もうちょっと頑張ろう…!と思った日。

■祝日
クリニャンクールの蚤の市に行った。数百年前からここにあったと言われても驚かない風貌のパブにて、ローカル感たっぷりなオジサンに「ビールにミントを入れるか?」と言われ、郷に入ったら郷に従えかなと試したけれど、かき氷シロップのようなケミカルな緑色をしたその液体は、なかなかおいしくなかったが、それもよかった。
古本屋でAlex KatzとHockneyの画集を買ってほくほく。しかしこの街はどこにでもプジョーのビンテージロードがあって、心底うらやましい。どれも本当にかわいいし、こんなに色や種類があるとは知らなかった。この日はたくさん歩いた。スポーツバーで、ラクビーの日本戦を見る予定が時間を間違えていて帰宅、鯵の南蛮漬けをまたつくる。ほうれん草のおひたしも人気だった。その後家からすぐのスポーツバーに出かけてみたけれど、イギリスを相手に、前半はなかなか互角だったものの、後半ヘディングでパスが回って、笛が鳴らないのか、、という戸惑いのなか点を取られてしまい、そこから失力してしまった。敵チームを応援する客たちの絶妙な愛想にも消化不良になった私たちは、家でスクラムを組んで遊んだ。

■某日
絵を描く。ぜんぜん、いい絵が描けなくて悩んでいたが、まあ描くしかないかと思った。夜は井上くんの高校の同級生、宮澤くんに会った。日本のサラリー生活の空気に一気に引き戻されて、ちょっと戸惑ったりした。4人で出かけたPolidorは、わたしのお気に入りの古きフレンチ食堂だったが、どうやら5年前くらいに経営が変わり、内装も綺麗に。おいしかったけれども以前の老夫婦が営んでいる空気はなくなっていた。1845年から続く店のようで、きっとそうやって新陳代謝を続けて今に至るんだろう。新築の建物の方が珍しい、地震のないパリらしいことなんだろうか。

■Research Day
ギャラリーをいくつか回った。Semiose Galleryという大きいめのギャラリーが特に気に入って、たくさん画集を買ってしまった。NYでリサーチをした時にも思ったが、美術館の展示本よりも、ギャラリーが出版するインディペンデントな画集の方が、作品の撮影も印刷も満足いく質のものが多い。こちらでも日本でも本屋には売ってないことが多いから、自分が本屋をやるならば、まずはメガギャラリーの画集は一通り扱うなどしてみたいと思った。
そして今日は、ホリデーギフトに制作させてもらったハンカチの色を確かめるために、田口&メメさんに再会。ハードな旅程に風邪をひいたりして大変そうだった。旅先でいつもの人たちと会うのは嬉しい。ハンカチは結構いい感じ!

 

 

9月の終わり、バスク地方とピレネー山脈/San-Sebastian et Pyrénées en Septembre

9月の終わり、4泊5日でバスク地方へ!
まずはサンセバスチャン。
明日は久しぶりの早起きだと思うと、全然寝れなかった。隣の綾介もずっと寝返りをうっていた。それをりっちゃんに話したら「遠足前の〜」とくすくす笑われてしまう。
井上くんは最近すごく忙しかったし、土曜日も仕事をしていて疲れが溜まっていたのに、また深夜までみんなでおしゃべりしてしまったから、朝、なかなかひどい顔をしていた。鼻毛が出てないかチェックしあったり、洗顔を念入りにしたりしたのに。それで三人ともぼっさぼさなままビルバオの空港でぼんやりしていたら、目の前に美しく、朝の支度もしっかり終えた女性が二人現れた。それがマドリッドから合流した旅の仲間、りっちゃんと椿ちゃん。恥ずかしくなってしまって、バスに乗り込んだら慌ててリップを塗ったりした。隣の綾介も「この髪型で大丈夫?」と聞いてきたから、同じ気持ちだったみたいだ。

San-Sebastianは雲ひとつない街だった。もう冬みたいだったパリから、もう一度陽気な季節に引き戻されて、それだけで心が踊った。バスの窓には、パリとは違う植生の、青々とした森が続き、その斜面には、牛や馬、羊、山羊、ロバがのんびりとしていた。子馬もいた。都市では、馬たちはいつも貴族の権力の象徴だったから、この景色をみて、ここが一番似合うと、もう一度馬が好きになった。馬たちはしっぽをパタパタするだけで機嫌が良さそうに感じたし、チーズなどを想像して食事が楽しみになった。そんな丘や森の向こうには、時折ちらりと真っ青な色が見える。海だ。南仏に行ったのに一度も遊べなかった海。トランクには水着も入れてある。ウキウキしすぎて、結局、バスの移動は一睡もできなかった。ちょっと運転が荒くて、酔いかけたこともあるけれど(笑)

バスクの海と太陽
San-Sebastianの旅の目的は、国際映画祭だ。町中のあちこちで映画を上映していて、ネットでよく見るレッドカーペットが敷かれていたりする。(奥山大史さんが『僕はイエス様が嫌い』で最優秀新人監督賞を獲ったのが、この映画祭。)
でもこんなにも晴れた空と、海と、陽気な街があると、建物の中にずっと籠っているのは難しい。りっちゃんの「まずは海岸の方にいってみる?」の掛け声で、レンタサイクルの存在を思い出し、課金してみると、これがこの街では本当に大活躍した。雲ひとつない坂道とカーブを、自転車にのってみんなで走り抜ける。最高の自転車ギャング。一人水着を中に着ていたので海に入らせてもらい、波の力で潮が吹きつけるスポットで盛り上がり(この旅行での井上くんベストショットが撮れたので載せておく)、結局映画は一本諦めて、丘の上から真っ青な色を眺めて、昼寝する。この青を見たかったのだ。Milton Averyの海のシリーズはこんなバカンスの風景なのかなと想像したりした。ちなみに、井上くんの最高さについては、ずっとこの数十日感じているけれど、潮スポットで、遠足中の小学生たちに絶大な人気を博している様子をみて、その気持ちはいよいよ確信に至った。

■ついてない日もあるネ
昨晩から怪しかったが、なんと綾介が熱を出してしまった。エアビーに彼を置いて、4人で街に出る。綾介という存在は本当に何もしないけれど、大きいことに気づく。そうだ、グループ行動や大人数が下手くそなんだった。しかも、たまたま道中で生理の初日が始まってしまい、頭痛と体の重さ、衣類の不快な状況。綾介の生理に対する理解がすごすぎることに慣れきってしまっていて、重すぎる身体を引きずっても、みんながどんどん前に進んでしまう様子に悲しみさえも感じてしまった(きっとこれは気持ちもやられているから)。そこにわたしだけ別の映画を予約していたが、数分遅れただけで見ることができないと言われてしまったりして、かなりついてない日だったけど、夕日の美しさと彼への敬意で締めたい。あ、あと街中に全員サッカーユニフォームを着た人たちがひしめき合い、大合唱していて最高だった!(ちなみに試合は、地元アスレティック・ビルバオと、同じくバスク本拠地のリアル・ソシエダという熱い戦いで、久保の大活躍のお陰で、綾介の苗字が小久保なので、街ゆく人たちと"little KUBO"と盛り上がった。)

ちなみに映画は、濱口竜介の『悪は存在しない』、勅使河原の『燃え尽きた地図』、村瀬大智『霧の淵』、Tatiana Huezo『The Echo』、あと短編をいくつか見た。映画祭で劇場公開前の作品を見るのも、街中で批評をしている空気も、旅に来たのにシアターに籠るのも、新鮮!その合間にピンチョスと一杯を飲み歩き、ああだこうだと語り合うことになるので、この街は映画祭にぴったりだ。ちなみに濱口の新作を一番楽しみにしていたけれど、賛否が真逆に割れそうな作品で、私は『偶然と想像』の方が傑作だと思った。『霧の淵』はわたしは結構好きだったけど、みんなはピンと来ていない様子。同じ作品を見ても意見が分かれるのも映画談義の面白さね!

ピレネー山脈を目指してロードトリップ
映画祭が終わり、ピレネー山脈に向かう。はずが、レンタカー屋さんの前の大通りがマラソン大会で通行止めになり、もう少し街をさまよった。計画通り行かないのはヨーロッパにいる感じがする。お陰様でここでバイバイになった椿ちゃんと、もう一度再会してピンチョスを食べ納め。昨日はナイーブだったけれど、初日のつらさを超えれば気持ちも明るく、井上くんたちがいい感じなことに確信を得はじめて、もはや、るんるんだった。わたしと綾介が二人でいることが、二人が二人でもっといられるようになる。最高の構図だ。
いざ向かったピレネー山脈は素晴らしかった。その前にアップグレードしてくれたレンタカーのアウディが快適すぎて、日本の高速で一発免停をくらうであろうスピードを楽々出してしまう。(そもそも130kmが高速の速度上限なので、みんな余裕で140km以上出していた。)青紫色というとんでもない色の、いかついボディのこいつの安定感はすごかった。
ピレネー山脈は、今日が夏季最後のリフト運行日で、しかも私たちが今シーズン載せた本当に最後の客だった。特別をいただくことは旅の喜びだ。しかもリフト降車のギリギリ手前で一度止まり「ああここで私たちのピレネーは終わりか」とスタッフも一緒に冗談を言い合ったりした。あとは、りっちゃんのひつじの鳴き真似がほぼ嗚咽だったこと、まさかの植物好きと判明し、思う存分みなで植生を観察できたこと、照れた井上くんがかわいかったこと、その日泊まった個人経営の宿が美しかったこと、湯船を張ったらやっぱり途中から真水になってしまったこと、そんなことがあった。屋根の上で星を見る二人をそっとしておいたのも、いい思い出。そうそう、昼過ぎに街を出たのに山に登れたのは、ずっとそわそわしてたけど、ヨーロッパの夜の長さゆえ!

ルルドとマリア信仰
この日訪れた、カトリックの最大の巡礼地というルルドという街はかなり異様で、本当に面白かった。まず街に着いた途端、これまでの街とはまるで違うことは一目瞭然だ。ここは本当にフランス?というほどに、さまざまな国の言語の看板が並び、中華街のような喧騒。聖母マリアさまの木彫りや、聖水を入れるボトルが所狭しと並んでいる。私たちが食事をしたのはスリランカ人とインド人によるスリランカ料理で、キッチュで可愛いマリア様を型取った聖水ボトルを購入したのはイタリア人のお店。なんとこの山あいの街に、スリランカ人のコミュニティもあって店は4,5軒あるそうだ。
まずルルドについて解説すると、ここは奇跡が起きた場所として多い時には1日2万人が訪れる場所だそう。その奇跡とは、1858年という割と最近、無学の少女ベルナデッタが20回くらいマリアを目撃し、その言葉に従って泥沼を掘ると泉が湧いて、その水に触れると盲目が治ったり、動かぬ足が動いたりしたというもの。マリア様を見たという噂は当時から瞬く間に広がり、最後に少女がマリア様をみたときには8000人の民衆が駆けつけていたとも、ある論文に書かれていた。当初、教会や警察は懐疑的な立場で、立ち入ると逮捕するなどとしたものの、人々が押しかけすぎて、民衆に押し、押されるようにして市民権を獲得、のちにバチカン公認もされたそうだ。なるほど、権威ではなく、大衆によって作られた聖地だとすれば、この街の喧騒にも納得がいく。
そしていざ、聖水の湧く場所に向かった。すると、上野の博物館の前のような広くてまっすぐとした道がひらけ、その先には神殿のような巨大建築がそびえたっていた。外は金色のタイルで宗教画が描かれ、ピカピカしている。こんな教会はこれまでの街で見たことがない。ドームのようなデザインはモスクにようだった。中に入ると白のベレー帽を被ったご婦人と、車椅子にのった参拝者に溢れていた。白のベレー帽の皆さんは本当にやさしくて、聞くとボランディアだそうで、調べてみるとボランティアは年間10万人ほど集まっているそうだ。段々気づく、私たち4人はこの場所で完全に浮いていた。体の中から湧いてくる真剣さが足りていなかった。宗教って一体なんなんだろう。人々にとって宗教ってなんなんだろう。新しい宗教と権威ある宗教のあいだはなんなんだろう。頭のなかをぐるぐるしながら、その場所をさることになった。

その他:アウディ、エンジンオイル切れという誤報と整備工場のワンピーズ好きお兄さんとの出会い/シトロエンなどのかわいい車たちへの関心/ルルドで知り合ったスリランカ人/潮風吹きつける曇天の隣町/りっちゃんの聖水マリア様推し活/昨夜の宿がまさかの温泉街だと今更気づいて悔やむ など

■深夜の柚子胡椒ラーメンで旅は終わる
ピレネーの麓でもっとゆっくりしたかったなと後ろ髪をひかれつつ、旅は最終目的地のBilbaoへ。ピレネーの麓はフランス領で、ビルバオはスペイン。車で移動していると、パスポートも不要のまま、気づいたら国境を超えているのは不思議な体験だった。ビルバオでは勿論GUGGENHEIMに行ったりした。
実は、この日の日記には「"好き"って言っちゃった。深夜のラーメン。」と二行しか書いてなくて、それについて私は多くは語れない。とにかく、りっちゃんがフライトが迫って先に街を後にしたとき、彼女がこの旅は自分にとってあまりにも大きいと、力強く語って去ったこと、パリとマドリッド、それぞれの自宅に帰ってから届いた彼女の言葉の強さと詩的さに、深夜の柚子塩ラーメンがしみたことは記しておきたいところ。ラーメンは、ちゃんと白葱も添えられて、やっぱり綾介が作ってくれたのだけど。

 

Sud de la France en Septembre

ーー2週間のロンドン滞在の次は、南フランスに向かった。セザンヌマティスくらいしか知らなくてなにも想像もできていないのに、魅力的にひびく地名たち。きっと、太陽がいっぱい。それだけですごく楽しみだ!

■8月30日, London→Paris
イギリス全土の飛行機が飛ばないという大ハプニングによって足止めされていたが、陸路を通ってパリに着陸。井上くんは、わざわざ駅の前まで我々を迎えにきてくれた。彼の軽さと親密さ、距離感、なにもかもが心地よくて、私たちは二人ともすごく嬉しくなった。リョウスケは、珍しく饒舌にさえなっていて、早く寝ようと宣言したものの、結局は夜を深した。深夜、爪を切ると体重が軽くなる気がするという、わたしの楽しみを共有し、爪切りダンスをそれぞれのスタイルで踊った。


■8月31日,クレオール料理と上機嫌なシェフ
朝8時に街角のカフェでエスプレッソをぐいっと一杯という予定を立てていたけれど、案の定起きたのは11時半。お昼は井上くんのオススメの、どこかの国の料理を食べた。
シェフは最初とても不機嫌だったが、井上くんが2回目以上と気づくと鼻歌が厨房から漏れ出して、あれこれジョークを言い始める。思ったよりもゆったり食べてしまったので列車の時間が迫り、慌てている旨をお店に伝えてもらうと、「急いでいる時にこの店は来ちゃいけないよ」と言われ、「まだキッチンで魚は泳いでいるし、鶏は元気に生きている」とのこと。そう言いながらマッハで出してくれる愛嬌。ちなみに日本語と全く同じテンションで、ぺちゃくちゃフランス語を話す井上くんを見ていて、言葉が自由ってとっても素敵だなあと二人で改めて感服した。(あとで聞いたらここはクレオール料理で、あのおっちゃんはマダガスカルのお隣、レニユオン島出身だそう!)

そのあとは1週間分くらいのパッキングを10分くらいで終わらせて、ダッシュで南仏行きの列車に向かったが、駅を勘違いしていたせいでギリギリ間に合わず。課金をして1時間後に乗車。まあ、そんなもんでしょうか。

■9月1日,Marseille昨晩8時ごろにマルセイユに到着。ロンドンからパリ以上に、パリからマルセイユは一段と治安が悪そうな空気だ。昨日のシェフも撃たれるぞ、と冗談を言っていた。(その後、本当に銃撃のニュースがあったし、日本領事館のHPには身を縮めるような犯罪が列挙されている。)宿に到着すると写真と実物にあまりにも差があり、最初は正直かなりげんなりしたけれど、翌日の今日、陽がのぼってから街に出ると、最高であることを知った!地球は面白い。夜と昼とでこんなにも表情が変わるなんて。日本にいるときには忘れてしまっていた。

こちらはカラッと晴れていて、確かに南に来た感じがする。それ以上に、汚くて雑多なこの街の人と空気がカラッとしていて明るい。冗談も頻発するし、異国の人にもフランクだ。そして電動キックボードが凄まじいスピードで走り抜けていく。東京でいつもキックボードに二人乗りしていて(電動じゃないやつ)、よく友人に面白がられていたが、こちらは電動2人乗りがちっとも珍しくない。3人乗りもいる。日本とは速度制限が違うらしく、ぽおっとしていたら簡単に引かれるだろうし、びっくりするほどその辺に投げ捨てるようにあるけれど(まず立たせるんじゃなくて、横になぎ倒されている)、この街の自由さをそのまま示しているようで、スカッとする。ホテルの施工があまりにも雑すぎて窓のドアノブも金庫も壊れていることも、街を歩いたら、まあこれがマルセイユかなと思えてきた。

そしてこの街の風景も気に入った。細くて急勾配の坂道に石造りの建物がたち並び、足元では人々が目まぐるしく行き交っている。その隙間を路面電車が走りさる。(さらにそれを電動キックボードが爆速で追い越していく。)夕陽で街が赤く染まりだすと、太陽に群がるように港には人がひしめき合い、少しでも太陽の近くへと海に体を乗り出していた。
それで、これまではギャラリーと美術館ばかりを回っていたが、この旅で初めて街と店に興味が湧いて買い物をした。魔女みたいな1815年からある薬草系のファーマシーと、1827年からある台所の道具からあらゆる生活雑貨が所狭しとならぶ広大なお店に出会えて、心躍った!店の扉を開けるのは、時空を超えた世界に飛び込んでしまうのではないかとドキドキした。あの店にいくだけにここを訪れたい。毎日行きたい。それではパロサントを焚いて、カモミールティーをすすりながら、今宵は疲れた体を休めましょう。

■9月2日,Aix-en-Provence
シャトルバスに40分ほど揺られて、今日はエクスプロヴァンスへ。マルセイユは色んな母語の人がいて中東っぽくさえあるけれど、ここは宣材写真のなかのフランスという感じだった。乾いた空気に白い木肌のスズカケの木が揺れて、木漏れ日が古い街並みにかかっている。とにかく光が美しい。でもなんだか美しすぎた気もした。
一方、道中でマルセイユを思えば、鍵というか取手そのものが壊れていて、その穴にティッシュを詰め込まれたひどいホテル(それでも1泊1万以上するという…)の窓から誰か侵入しやしないかと急に不安になり、体に悪かった。エクスから持ち帰った美味しそうだった中華デリがなんともで、いよいよ疲れが出てきた日である。

もう少し言及するならば…/黒いちじくがあちこちに生えていて羨ましい。セザンヌのアトリエの庭で一つ味見してみるべきであった。/Musée Granetでみたナポリの宗教画が恐ろしすぎて、キリストのハリツケという処刑方法がいかに残虐だったのかを構造的に理解し、急いで逃げた。よくそんな方法を思いついたな…と思う。/など

 

■9月5日,Arles
おはよう。今日はアルル3日目。数えてみたらこの旅23日目のよう。アルルはこれまで訪れた街のなかで、一番時間流れがゆっくりだ。ゆっくりすぎるくらいが、わたしたちにはちょうど心地よくて滞在を1日伸ばした。もうちょっと伸ばしてもいいくらい。

今は、滞在先から歩いて数秒の角にあるパン屋さんのテラスで、朝ごはんを食べている。昨日通り過ぎたときに、お客さんのおじさんにおすすめされて、明日はここに!と決めていた。今、私たちの隣では、おじさん3人と犬がずっとおしゃべりしていて、店にはひっきりなしに人がやってくる。バケットを脇に抱え、ご近所さんたち同士で挨拶をし、まだ強くなりすぎない午前の光と風がそっと吹いている。ノーリードでお散歩中の大きな犬も、走り去る子どもたちも、素敵なバッグにバケットを入れたご婦人も、なにもかも心地がいい。

この日記のすぐ後に、昨日ここをおすすめしてくれたのは、マダムだったと気づく。ごめんなさい!エスプレッソを飲みに今日もやってきて、再会できたからだ。そしてフランスのこと、LGBTのこと、あれこれ話をすると「この後も時間ある?」と聞かれて、ギャラリーや美味しいお店を一緒に街をまわって教えてくれた。ギャラリーのレセプションパーティにまで繋げてくれる様である。優しすぎて、いよいよ変な場所に連れて行かれるのではと焦ったけれど、ただただ、優しかった。見知らぬ若者たちに街を案内できちゃう大人になりたいと思った。(でも、ここがマルセイユだったら、多分絶対について行かない方がいいね!)
ちなみにこの間の日曜日は、広場でぼんやり休んでいるときにリョウスケがiPhoneを落としたのだけれど、教会に来ていた素敵なアルルの民族衣装を着た地元の方に届けてもらったという呆れたエピソードもある。この街の人はみんなやさしい。そして本当に滞在日をもう1日伸ばすことにした。

 

■追記:Arlesについてアルルは、ちょうど写真展が開催中だったので訪れた。Kyoto Graphieの元になった芸術祭だそうで、町中のあらゆる場所を使って展示がされていて、この4泊5日の間飽きることなく展示を巡った。きっと普段は入れない場所や中心街から離れた所もあり、街のさまざまな顔が見れたし、何よりホワイトキューブではない有機的な空間だからこそ、空間と呼応させる工夫やチャレンジのある展示設計は、見応えがあった。
個人的には、いつか必ず見てみたいと思っていたSaul Leiterの絵が見れたことが本当に嬉しかった。写真も素晴らしいけれど、彼の絵の軽さと色は、自分が絵を描きたいと思ったきっかけだったと言ってもほとんど相違ない。(ドキュメンタリー映画「In No Great Hurry」をぜひ見てほしいところ。)実物をみると、今自分が好んで使っている黄色や黄緑、紫は、ほとんど同じ色で、影響を受けていることを感じた。いつかその日がきたら、ハガキより小さな1枚の絵を買えたらいいなと思う。それから写真でいうと、Dolorès Marat(Born in 1944)と、Vhristopher Barraja(born in 1997 in Nice)の二人の作品が特に惹かれた。

そしてアルルの旅は、宿に恵まれた!結局滞在を2日も伸ばすことになったのは、Airbnbのせいでもある。アルルらしい白壁の古いお家で、細い階段をぐるぐる上がると屋上があった。夜8時くらいにようやく、ゆっくりと暗くなる空と赤茶色の屋根、空を横ぎる鳩を眺めながら、ほとんど毎日ここで夕飯や晩酌をした。ある時、1日を終えて階段を上がると、ホストと素敵な友人方が集まって楽しんでいるようだった。ちょうどシェイクスピアについて議論していて、その隣には、いつも困り顔の老猫Chatonが両手を丸めている。Chatonはいつもいい時にやってくる。"子猫"という意味の名にも関わらず、ふくよかで大きくて、白い体は冒険で薄汚れているので、ホストのElizabethは「あら、ベージュの絨毯の上だとちゃんと白く見えるわね」と笑った。芸術と生活の距離の近さ、気さくでゆったりとした空気。ずっとここに身を置いていたくなる。そしてホストのElizabethは、とりわけ親しくしたわけでもないけれど、ちょうどいい距離間と陽気で軽やかな空気をまとった人で、彼女の家で暮らすことは全身で心地よかった。家は、住む人によって作られていくんだなあ。


■9月7日,マティスの教会
4泊滞在したアルルをやっと出発して、南フランス最後の場所へ。ラストはニースの郊外にてマティスを観る。これからマルセイユで車を借りて向かうのだけど、こちらのルールと左運転に慣れられるかどうか、昨日からドキドキしてる。特に回転式の交差点。一生出れなくなったらどうしよう。こちらはMT車の方が殆どで安かったけど、やめた。
ちなみにアルルを出ようと駅に向かう途中で、「また来てみたいわね」とリョウスケがぽつり。彼が何かを所望するのは珍しいので、なかなか気に入ったみたい。でも本当に!次は彼の写真展として来ることができたら、そんな嬉しいことはないわね。

(追記)ぎゅうぎゅう詰めの路駐の中で、奇跡的に1台空きスペースを見つけて、無事ファーストミッションだった駐車を終えると、長谷川先生から必ず行ったらいいと言われていた、マティスが設計した教会を訪れた。
あれ、ここでいいのかなという小さな場所。キリスト教の教会にある、原罪という重くのしかかる湿度、声を足音を最小限にしたくなる空気、そういうものがまるでない教会だった。太陽に照らされる白壁はむしろ眩しくて、執拗な厳粛さは要らないとカラッと佇んでいて、そこに大きく、雑に描かれた(雑というのはマティスに対する、わたしの最大の尊敬と憧れの言葉だ)タイル絵と切り絵のステンドグラスがきらめいていた。最小限の意匠とサイズで作られた椅子や、祭壇にある軽やかな十字架、細部まで彼の思想と感覚がほどこされている。この土地に降り立って、マティスがやっと見えてきた気もした。ここに来れて、良かった。ちなみに、その後にいったマーグ財団の美術館も素晴らしかったので、ここはセットで必ず訪れてほしい場所だ。

 

■9月8日,ニース郊外のキャンプ場

最後に訪れたニースの郊外は、本当に素晴らしかった。都心の高騰化が進む殺伐としたホテルではなく、いくつも小さな街をこえて向かったキャンプ場の宿は、南仏という王道ルートからやっと、自分たちの旅の形になった気がした。
小さな町と森を抜ける旅路、気さくでゆるいキャンプ場、部屋の窓をあけるとちょうど見えるプールを泳ぐ、お腹がぽちゃぽちゃのおじさんやおばさんたち。客たちは長いと数ヶ月ここに滞在しているのだろう。夜は星がとても綺麗で、川にはヒレがピンクの魚と、羽がブルーのマルハナバチがいた。
そして夜ごはんに訪れた山間にあるTourrettes sur loupという小さな街の様子には、宮崎駿はここが好きだろうな、既に訪れているかなと話した。アルルよりもさらに小さくて、方角が分からなくなるようなカーブと高低差のある石畳みの階段の小道を散策すると、猫とCAVEばかりに出くわす。店先では、イギリスやドイツなどから来たであろう退職後の年とった夫婦が優雅にワインを飲んでいて、我々以外に若い人は見当たらなかった。

ちなみに車の運転は、ルール以上に、ウインカーを出さなすぎる進路変更、狭い道幅、スリリングな周囲の運転が恐ろしくて、ケンカをしまくった。高速で見る事故は、日本のそれと違って激しい。往復どちらの旅路でも、大型トラックが横転して大出火していたりヘリコプターが道路上に降り立ち救助活動をしていて、さすがにびびった。しかもその事故による大渋滞のせいで、路肩をがんがんすり抜けて閉店ギリギリに車を返却する帰宅レースをしたので、身体が何度もギュッとした。無事ミッションコンプリートできた今だから思い出深いけれども、知らない土地で私たちは神経をかなりすり減らすこととなった。それでも車は好きだ。自分たちの時間が、自由が、戻ってきた感じがした。

 

こうして無事、南仏の旅を終えて、またパリへと列車で帰宅。次回は、まさかまさか行くことができなかった青い海たちと、メルカントゥール国立公園に行ってみたい。









LONDON in August vol.2

 

■22th
昨晩からWarehouseに滞在中。ここは本当に最高すぎるので、どこかでちゃんと記したい(一番最後に書きました)。そろそろ見てばかりじゃなくて描きたいと思い、画材屋へ行った。安いかなと心躍らせて行ったけれど、ここはポンドの国だったんだった…。下地にいつもジェッソを使っていたが、Acrylic Primerという素材を発見。既に下地加工された既製品のキャンバスに比べると、自分で貼ったジェッソのキャンバスは絵の具との摩擦がありすぎて、いまいちフィットしきっていないのだが、もしや、これは既製品のキャンバスに地が近い!?と胸を躍らせる。帰国したら世界堂で探してみよう。

 

■23th, Research day
Center for British Photographyへ。Evelyn Hoferという巨匠とJohny Pittsという若手の写真がとてもよかった。ENGLANDのサッカー代表のロゴ入りのナプキンとタトゥーの入った太くて黒い手の写真がすごく気に入って、写真集を買った。
その後は、Robert Motherwellというアメリカの抽象画家の絵をみた。Raoul de Keyserというベルギーの好きな画家を思い出した。抽象画だけれども、窓やヨットなど何らかの具象を拠り所にしつつ、キャンバスの上で形や色を探るように描かれていて、絶え間ない研究心を感じた。同じ主題で、こんなにも何度も何度も描くことのできるエネルギーたるや。そして彼のように茶色、使ってみたい。

お昼にベトナムを思い出してフォーを食べたが、たぶん2000円を超えていた。円換算をしすぎては、この街では震え上がって生きていけない。

 

■24th, Research day

Warehouseの住人でアーティストのDiagoから絶対観た方がいいといわれて、Camden Art CentreでMartin Wongの絵を見る。NYで生きたChainese americanのアーティスト。人種差別や格差を描く力強い絵と対極に、ビデオに映る彼の陽気さのコントラストが心に残っている。
そのあとは大地郎おすすめと言うThe Cob Galleryで、Larissa Lockshinの展示をみた。トロント生まれの同世代。つるつるしたサテンのキャンバスに、ソフトパステルで描いていて、筆跡の隙間でサテンの地が煌めく。半地下になった下の階では、光が上から差し込んで、さらに煌めいていた。額のハンドメイド感もよかった。
さてさて、今日はリョウスケの誕生日!KiricoとAlistairたちと夕方に再会して、パブで乾杯。こっちのパブは最高だ、いつも道路まで人が溢れている。Alistairは既に結構出来上がっていてキュートさが増していた。何を話したかは全然覚えてない。そのままKiricoたちの友人のパフォーマンスに行き、アラブな街をまさよって激安地元民御用達のケバブを食べる。毎日が濃すぎて、リョウスケの誕生日が若干かすんでいる気がするのが気がかりであるくらいだ。

 

■25th, 会話のキャッチボールが消えることについて
夜、リョウスケのお祝いもかねて念願のBrawnへ。East Londonにある地中海料理をベースにしたレストラン。生ガキを見つけて嬉しくなった!恐ろしくて金額は見れないままだけれど、おいしくて楽しかったなあ。アヤカちゃんがこっそりお願いしてくれていて、蝋燭もふうふうした。107というワインスタンドにも駆け込んで、とかく楽しい夜だった!Brawnは、ロンドンに来るたびに訪れたい。
ちなみに会話の殆どは、パートナーの不可思議さについての観察。リョウスケという人間は驚くほどぼーっとしていて、昔訊ねてみたら、海の上を浮かんだ漂流物みたいな感覚で生きていると言われたことがある。その様は、私のような人間からすると"足るを知る"様に見えて、かなわないと思うし、時の流れのあまりのゆるさに苛立ちを感じることもある。小さな問いもじっくり注意深く考えるので、痺れを切らしたり、気づいたら寝てしまっている日も多い。一方でたった一言ぽそっと漏らした言葉がわたしの体の芯になる時もある。アヤカちゃんのパートナーも、もちろん違うところもあるけど、方向性としてはそんな感じらしくて、私とアヤカちゃんの脳内をぐるぐるさせる「??」という掴みどころのない不可思議さについて、あれもこれも話した。会話なのに、キャッチボールしてるはずのボールが消えている、という話、あれは本当にそうだよね。消えた、ということも気づかないくらいごく自然に消えるよね。それで私たちは「投げかけられた質問はちゃんと答えるものだ」と思って生きてきたことに気づき、やっぱり彼らにはかなわないのだ。

 

■26th, Erykah Badu...!
All Point Eastへ!まさかの会場が徒歩圏内で、テムズ川に合流する小さな川沿いを歩いて会場に向かった。川には船がたくさん停泊していて(住民税がない?らしく、船で暮らすHouse boatというカルチャーがあるようだ)、水面はとても近い。河岸はずっと散歩できるようになっていて、とても気持ちが良かった。
しかし今日は異常に寒かった。会場入りしたものの凄まじいスコールと雹が振り付けてきて、みんなで僅かな木の下に避難。こっちの人はいつも薄着で平気そうだけど、さすがに震えていた。風邪をほぼ引き、緊急帰宅。でもその後すぐに晴れて、もう一度会場に向かう途中で見た、水面のゆらぎと光は忘れられないだろうな。
さてさて、肝心のフェスはというと全ての体力を使って踊りつづけた。まず戻ってすぐに、Nia Archivesで決まりすぎた人々と共に踊りまくる。そして今回のお目当てErykah Badu様は殆ど神様だった。音楽が鳴っても15分くらいは現れず、ずっとバンドが圧倒的なリズムを刻む。ゆっくり君臨すると、彼女は音楽の神様と一体だった。この肌で存在を受け止めたい、そういうグルーブが会場に集中力をつくっていた。トリのJungleも最高で、Fujiよりも広いであろうステージで自由に踊った。

■27th, Research day

昨日の疲れが残っているもののロンドン最終日ということで、V&Aへ。ヴィクトリア女王がコレクションした400万点の古美術たちが、倉庫の棚のように並んでいた。世界のあらゆる時代と場所の意匠と文化がひしめき合う棚は、アンフェアな交渉で安すぎる値段で買い付けたものも多いのだろうなと、なんとも言えない気持ちも湧いてくる。それでもたとえば自分が陶芸家だったら毎日通うだろうなと思う所蔵力で、現代に沢山のインスピレーションをもたらしているんだろう。
私はそのなかでも、絵付けガラスがとても気に入った。小さな透明のボトルやビーカーに、赤、青、黄色、白などのシンプルな色で、エンブレムや虎、人が描かれていて、キッチュでキュート。18世紀のヨーロッパの物が多そうだ。今、自分の絵でハンカチを作ってもらっているのだけれども、立体や様々な支持体に絵を描くことの面白さを感じていたところだったので、絵付けガラスはどこかでやってみたいなと思う。(とはいえ、絵の制作の現実は、スランプ中。)

 

■Flight Day...
さよならWarehouse!さよならロンドン!のはずが、飛行機飛ばず…。なんとこの日は管制塔のトラブルかなにかで、ロンドン全ての空港で、全ての飛行機が飛ばなかった。ただただ疲労感だけを蓄積し、動かぬ現在地。これがヨーロッパなんだろうなあ。

 

■Last day in London, AYAKA-chan again
ちょうど昨日がバカンス最終日ということもあり、振替えの飛行機は4,5日後くらいまですっかり満席に。そこで陸路に切り替えて、一晩アヤカちゃん家にお世話になることに。素敵な八百屋さんとパン屋さんに行き、野菜だけでつくったスープが、疲れた体にとてもよく沁みた。玉ねぎの皮や人参のヘタも一緒に煮込むと、植物染めの染料みたいなオレンジと紅のあいだのような色と香りがたった。予期せぬロンドン延長だったけれど、彼女と長らくぼんやり過ごした時間は、とても大事な時間だったのだと思う。この時間のために飛行機の足止めをくらったんだろうと思うくらいに。そう、彼女とは人生の地点としてかなり近いところを、それぞれ手探りで生きている。そんな人が隣に居ることは、気づけば随分違うところまで来てしまったかもしれないと時折襲われる孤独のような気持ちの救いだ。加えるならパートナーへの並々ならぬ愛もよかったなあ。


明日からは、陸路での旅が始まる。それも楽しみだ。
フランスの南側を目指し、もう一度秋から夏に戻るぞ!

 

■番外編, Warehouse
さてWarehouseについては、どこから語ろう、、なんだか語ることが難しい。確実に言えるのは、2週間のロンドン滞在の中で、間違いなくここが最も面白い場所だったこと。まず広い天井がいい。Warehouseはその名前の通り「倉庫」で、高すぎるセントラルの地価から逃れて、改装して複数人で住んでいる場所。かっこよく言えばアーティストレジデンスだけど、ちょっと違う。

私たちが滞在した場所はイーストにあるOlympic Parkの川沿いにあって、同世代のペインターやミュージシャン達がたぶん10人くらい住んでいた。たぶんと言うのは、トイレとシャワーがたった一つしかないのに、何故か一度も被らないくらいに、それぞれ自由に生きててよく分からないからだ(笑)初期のメンバーたちが、ただの倉庫だったところから電気や水回りも完全にセルフビルドで改装したそうで、要らなくなった美術の現場でもらってきた板や拾ってきた卓球台などを使って、壁沿いにL字で小さな部屋がいくつも作ってある。中央は、高い天井のまま、広々としたキッチンとダイニング、作業スペースがあって、誰かが料理を作っていたり、夜になるとなんとなく人がぽつぽつと集まってきて盛り上がる。

アーティストレジデンスと言うには違和感があるのは、どこかの組織や機関がつくったものでも、明言されたコンセプトがあるわけでもなく、ただ少しずつ集まった友達たちが、ロンドンの物価にやるせなさを感じつつ、創作をつづけて暮らしているだけだから。それに一晩盛り上がればすぐテーブルの上などあちこち汚れるし、おせじでも綺麗とは言えない!だからこそ、形だけ真似しても、あるいは綺麗になりすぎても、ここに流れているこの空気は作れないだろう。

そう、わたしはこの場所と、ここにいるみんなが本当に好きになった。
好きとというより、こんな場所を自分が暮らす場所にもつくりたいと思った。それはこんな場所を、この世界の風景としてもっと在らせたいという願いなのだと思う。
実際、オリンピック以降にこの辺りも再開発が進んでるようで、取って付けたような新しいマンションが立ち並んでいた。Warehouseの数は相当に減っていて、ここも後何年在るかな、と言う。市場原理は愛おしい場所から少しずつ生きた空気を奪う。規格化されて飼いならされてしまう。どうか次来たときにも、ロンドンにこの風景がありますように。
そしてここに連れてきてくれたKirico、Warehouseのみんな、本当にありがとう!
天井の謎の赤提灯は、去年のハロウィンに、80年代の日本のB級ホラー映画をテーマにオープンハウスをしたときの名残らしい。笑


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■いつかロンドンを訪れる人のために!
私たちが行ったうちの、特におすすめです。
名前をクリックするとGoogle mapに飛ぶよ。

ーmuseum
📍Tate Modarn  
…ここは外せないでしょう。常設展が無料なのはすばらしいけれど、企画展はなお大満足するはず。

ーgallery
📍South London Gallery …セントラルエリアの資本力あるGalleryもいいけれど、郊外の大きな場所は見応え、質ともに素敵なことが多い気がします。どの都市もそうか〜。
📍Camden Art Centre …こちらもちょっと外れに。中庭含めてとても素敵な場所。
📍The Cob Gallery  若い女性たちが働いていて楽しそうだったな(笑)ロンドンのギャラリーはNYみたいに商売人なコミュニケーションを取ってこないことが多くて、大抵若手のアーティストが働いていて、気楽でいい。
📍Thaddaeus Ropac …有名なメガギャラリーの一つだと思う。この辺りはぷらぷら歩いて巡るのがいいと思います。周辺だとTimothy Taylor、Bernard Jacobson Galleryもぜひ。
ps,ギャラリーを沢山教えてくれた石河さん、有難うございました!

ーeat
📍Levan European Restaurant
…サウスのPeckhamにあります。要予約。
📍Brawn …ちょっぴり教えたくないくらい私も好きになった。要予約。
📍107 …Hackneyの上の方にある、ワインバー!混んでいて入れないときもあるかも。
📍Kiln …タイ料理をベースにしたビストロとナチュール。タイでも安くはないよ。笑
📍BAO Soho 台湾料理。バオが美味しい!

ーother
📍Atlantis Art Materials…ロンドンで大きい画材屋といえばここみたい。

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LONDON in August vol.1

 

■14th, TRANSIT
石油の高騰に円安ときて、探しだした航空券はハノイ経由のVietnam Airline。ハノイでの乗り換えがほぼ丸一日あったので、街に繰り出した。東京より暑い気温に、凄まじい湿度が押し寄せて、数分立っているだけで背中にいくつもの汗がしたたる。不機嫌になって相方と喧嘩をしたりしつつも、1杯400円くらいのフォーや、屋台での料理に舌をつつむ。日本で食べるものと出汁が違った。
もう一つ感動したのは、信号なき道。まあ信号があっても守られないのだけれども、おびただしい数の車とバイクと人間が、言葉もアイコンタクトもなく、コンテンポラリーダンスのように完璧に交差していた。息が合いすぎている。

 

■arrived in South LONDON
ヒースロー空港から列車にのってロンドンの街に入ると、最初に目に入ったのは車窓から見えるブラックベリーと紫色の低木の花。花はbuddleiaというらしい。近くで見ると、小さい花が過剰なくらいに密集していて、たくさん蜜蜂がやってきている。意外にも匂いはしなかった。ブラックベリーは日本の葛葉ポジションで、どちらも本当にどこにでも生えていていた。それにたいそう心を躍らせて、早くもこの土地が好きになった。
しばらくお世話になるMisato-chanから鍵をもらって、先にお家に向かう。彼女のお家があるBeckenhamは、中心部から40分くらい離れたサウスにあった。皇居まるごとかな、と言いたくなるような巨大な公園がいくつもあって、木々はどれも大木。3、4mをこえる木も珍しくなく、よほど気候に合っているのだろうか。お城のような一軒家が立ち並び、のんびりとした時間が流れている。一番近くのスーパーに買い出しに行く途中でも、公園ではリスに会い、森に抜ける道も見つけた。ラベンダーは伸び放題だ。この土地でのガーデニングは難しくないんだろうなあ。肌の乾燥以外、カラッとした光と、木漏れ日がただただ気持ちよかった。


■16th, AYAKA-chan
さっそく、アヤカちゃんと会った。アヤカちゃんは、美味しい食事といい空気が流れている場所を見つけ出す天才で、今日のPeckhamにあるレストランも美味しかった。気に入った彼女は、「ここは、働く人を募集してないかな、聞いてみようかな」と、早速辺りを見渡していて、生きるたくましさがキラキラと光っていた。どこでも生きていけるって、こういうことなんだろう。「わたし、ロンドンにいるのにビールは分からないんだよね」と、2軒目にいったパブでは、大きなグラスに入ったロックのウイスキーをぐびぐび飲んでいた。ちなみに私たちは話し込みすぎて、レストランでメニューを決めるまでに既に1時間くらい話していた気がする。今夜だけでは終わらないんだろうなあと思いながら、それぞれ帰宅。

 

■17th, Nap on the lawnTateの企画展でMondrianを観て、うなる。省略されきった抽象が至るまでの風景画が本当に美しかった。筆捌き、配色、省略の仕方、この人の絵はこんなにも美しいところから始まっていたのかと、うなった。あと額がどれも素敵だったなあ。
大満足した私たちは、この街の人たちに従って芝生に寝っ転がった。ロンドンにはあちこちに芝生の公園があり、わずかな夏の貴重な光を、しかと受け止めるようにみんな昼寝している。いざ後半戦と、コレクション展に戻ったものの、大きすぎてふらふらになった。夜はリョウスケ念願のFish&Chipsを食べた。30cmくらいあって、今日でもう満足と言われた。(本当にこれ以降一度も食べなかった。)

 

■18th, Kirico & AlistairKiricoとAlistairのお家で、和食を作った。南蛮漬けと肉じゃが、ご飯と味噌汁。スーパーや中華スーパーなどをぐるぐる回って食材を集める。こちらでは生魚が全然売っていなくて、中東系の魚屋でmackerelを買った。Kiricoさえ、生魚はまだ買ったことがないと言う。すごい匂いのする店で、今日仕入れたと言われたけど、絶対今日じゃないよねと言いながらも買って、できる限りよく揚げた。
ちなみにKiricoはもうロンドンに住んで10年くらいになるそうで、ロンドンの人に完全になっていた。馴染むと言うより街の人。それで二人のお家が本当に素晴らしかった。パンデミック中に描いたという二人の絵が、家の壁や天井のあちこちにあって、作品たちも本当に素敵(彼女の展示にはぜひ足を運んでみてほしい、こちらからチェック!)。そうやって創作と生活が一つになっている場所は心地よくて、壁に画鋲も刺しちゃだめと言われている日本の自分達の賃貸を憂鬱に思い出した。名家具もチェアもいいけれど、規格化されていない物と場所は、どうしてこんなにも心地よいんだろう。

 

■19th, Market
朝起きて、Kiricoに教えてもらった近所のマーケットへ。誰かが亡くなった時に丸ごと買い取ってくる場合もあるらしく、片足の靴から、額縁に入ったどこかの家族写真、使い方もわからない謎の道具までなんでもガサッと置いてある。私たちは£1〜2くらいで、花瓶と、額を作る道具(戦利品!)、赤色のフリースをゲット。パリでもいくつかの素敵な蚤の市にいったけれど結局ここを越えることはなく、ビンテージはセレクトではなく自分で探し出すのこそ楽しいと知る。こんな場所、日本にもあったらいいなあ!

午後はセンターに戻って、Royal Academy of Artsで夏の大グループ展を観た。すごい集客力で、作品は沢山売れていた。好みな作品は決して多くはなかったが、若手の作品がこうして目に触れて、世界中からいろんな人が買うという場所があることが面白かった。出店数は1600点くらい。1769 年からずっと続いているそうだ。(でも2年ほど前にやっていたMilton Averyの企画展の方が見たかったな…!)

 

■20th, Research day想像以上にGalleryが夏休みで閉まっていたことにしょげていたら、Misato-chanが色々教えてくれて、South London Galleryに行った。Misato-chanは大学院でキュレーターの勉強をして、そのままロンドンで働いている。South London Galleryは、いい場所だった。大きな立体の作品があり、子どもが触ろうとして母に怒られていたら、ギャラリーの人がいいよという。大人はそっと素材を確かめるなどしていたけれど、子どもはまず最初に、ぶらーんと、ぶら下がった。一番よく分かった触り方だなあと尊敬した。
その後はTate Britainに行った。企画展だけでふらふらになった。絶対王朝時代の貴族たちの肖像画など、衣装や装飾品がコテコテの絵画たちのなかで、一際、気になる絵があって近づくと、ドレスの部分が下書きのままになっていた。でもその白く大きくつくられた余白と大胆なレイアウトがとてもいい。自分もついつい色を重ねてしまうけれど、これはやってみたいとメモをする。閉館で追い出されて芝に行くと、若い女の子が本を読んでいる。光に照らされていて、あまりにも完成した風景だった。

 

■21th, Green and Dogs
Misato-chanのお家は最終日。まだ行けていなかった巨大な公園に最後足を運ぶと、想像以上に広すぎてびっくりだ。その広大な芝生の丘をノーリードの賢いワンコたちが気持ちよさそうに走っている。そうそう、こちらのワンコは自由でとてもいい。「犬は立入り禁止」なんて看板は一度も見たことがないし(そもそも注意書きや、看板という存在自体が町中で極めて少ない)、犬たちは人のようにしっかりと権利を有していて、大抵のお店には入れる。自分を人間と思っているタイプの犬も多い。素晴らしい文化だ。
それからこの公園には、Dan Pearsonがつくった十勝千年の森を思い出すような庭があって、ここで働きたいなあと思ったりした。アーティチョークは2mくらいまで成長していてびっくりした。
Misato-chan、本当にお世話になりました。彼女のこれから先の人生にも、たくさんの幸あれ!

 

 

 

vol.2につづく。



 

 

 

2ヶ月間の旅のはじまり!

「急に冬になったみたいだね。」バスの後部座席から聞こえてきて、やっぱりそうなんだ、と思った。すっかり冬みたいなパリから帰ってきたら、東京も同じくらいに寒い。
そう、2ヶ月ほどヨーロッパを旅していて、昨日東京に帰ってきたのだ。2ヶ月も!と驚かれたあとは、必ず旅をしている理由を聞かれる。それっぽい理由を話すこともできるかもしれないけれど、一番しっくりくるのは、この言葉。神様がくれた長いおやすみ。1996年放送の大ヒットドラマ「ロング・バケーション」の台詞に由来する。


南:いつになったら出番が来るんだか。何やってるんだろう、私。一日中パチンコやってた。
キムタク:こういうふうに考えるのだめかな?長いお休み。
南:長いお休み?
キムタク:俺さ、いつも走る必要ないと思うんだよね。あるじゃん。何やっても、うまくいかないとき。そうときは、なんていうかさ、神様がくれた長いお休みだと思って、無理に走らない。あせらない。がんばらない。自然に身をゆだねる。
南:そしたら?
キムタク:よくなる。
南:ほんとに?
キムタク:たぶん。

なにかを見つけるときこそ、自分でがんばらない。自然に身をゆだねる。
これはこの旅に限らず、焦ったときこそ言い聞かせてきた今年1年を通じたポリシーでもある。というのも、今年4月、30歳を目前にして、学生時代から8年ほどリードしてきた自分の組織を後継し、10年かけて取り組んできた教育という専門性を手放すという、いささか大きすぎるほどの人生の節目があったからだ。それで決めていたあらゆることを、もう一度、"未決定"に戻してみることにしたのだ。
と言いつつ、これから先は、、、と考えことは何度も何度もある。この大きな節目は、高校生くらいの頃から積み重ねてきた生きる上での指針や価値観を、その基礎から揺らがすようなもので、動揺も大きかったから。なんだかんだ、とても好きな教育学の研究者を目指すのか、やっぱり現場なのか、今見えてきている新しい世界の片鱗へ飛び込むのか、はたまたーー。でも結局、脳内はまとまらず、声をかけていただいたことも、博士課程の願書を取り寄せることも一旦やめて、すべては未決定のまま、その不安と心地よさに身を委ねて、ヨーロッパに降り立った。「わたしは不器用だから、持っているものを全部手放してみないと、見えないことがあると思う。」そんなある友人の言葉に支えられながら。


でも実際にそうやって、わたしはまだ知らないところへ旅をする必要があった。なんどノートに未来について書き殴ってみても、具体的な職業や組織はどれも完全にはしっくりこなかったけれど、自分が驚かされる方へ行く、それは自分が未知と感じる方へ行くことだ、ということだけは確かなものだと感じていた。


そして思い切って流されるには、それなりの時間が必要だと思った。1ヶ月では一瞬かなと思い、旅の前夜まで本当にいいのかと悩みつつ、17歳を迎える老犬と小鳥を友人と実家に預けて、2ヶ月間日本を離れることにした。 実際、2ヶ月という期間は、数日間の旅のように目的をはっきりと持つことが難しいからこそ、面白かった。ヨーロッパは内陸を横切ってどこへでも移動できてしまうから、あまりにも多くの選択肢があり、だんだんと、なんのためにどこへ向かっているか、ふわふわしてくる。そうやって流されていくことが心地よかった。点と点を移動するのではなく、追いかけ、流され、私たちの後ろに線ができてゆく。


まだ、旅と日常のはざまをふわふわしたまま、わたしのロング・バケーションをここに綴っていきたい。 ちなみに今回訪れた場所は、ロンドン、パリ、南仏、バスク地方。2ヶ月にしては、たぶんかなり少なめで、パリは友人宅で1ヶ月間ゆっくり過ごした。 そしてヨーロッパを選んだ理由は、絵を見るためと、会いたい友人たちが住んでいるから!絵を描くほどに、国内の画家よりもNYやヨーロッパの画家に、色彩感覚や描いている主題の近さ、インスピレーションをもらうことが多い。とりわけ生きている、すなわち同時代の感覚を共有している画家たちの絵が見たくて、2度NYには足を運んだので、次はヨーロッパかなという感じで選んだ。


では、まずはロンドンから!