PARIS en Septembre Vol.1

意気揚々と始めたブログだけれども、まだ半分も書ききらぬうちに2023年は終わってしまった…!(苦笑)写真を選んでいると、それでまた後手後手になるので、出しちゃいましょう。時は、9月のパリです。これから1ヶ月のパリ生活が始まるところ。

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9月某日、Back to Paris
パリに帰ってきて、数日に渡ってぐったりと休んだ。暑かったことしか記憶にない。マルセイユで列車に乗り込むとき、これで今年の夏はこれで終わりだと腹をくくったのに。ヨーロッパに熱波が押し寄せているらしい。
初めての外出は、ヴァンブの蚤の市に行ったが、この日もとかく暑かった。暑すぎて、歩いても歩いても続くマルシェはだんだんと喜びでなく、忍耐と化したほど。頭がくらくらしてきて何度も座って水を飲んだ。家に帰ると、エアコンのないパリに息苦しくなった彼が、マルセイユで買ったビーチタオルをひいて上裸で床に寝転がった。この風景は素敵なパリのアパルトマンではなく、ベトナムの民家といったところだ。いいニュースといえば、お昼に作ったパルメジャーノ&レモンパスタがヒット。こちらのパスタ麺はどこで買ってもおいしい!

■パリで出汁を嗅ぐ
今日はOpéraの方で、うどんをすすった。聞けば、この数日の暑さはやっぱり異常らしい。Opéra周辺は日本食屋さんが数百と立ち並んでいて、町中から出汁の匂いがする。それだけで生き返るものがあった。韓国系スーパーで納豆や醤油を買い足して、夜は肉じゃがを作った。

■Polka Galerieなど
ようやく元気になってきた私たちは3区と11区の境目あたりを散歩して、Polka Galerieという写真系のギャラリー、Yvon Lambertというイケイケな本屋さん、Merciなどに行った。Merciではお揃いのエプロンを買うかどうか随分悩んだ挙句、買わなかった。たぶん私一人だったらすぐに買っていると思う。
Polka Galerieはなんとなく心地のよいギャラリーで、Franco Fontanaという1933年イタリア生まれの写真家による山と雲の写真シリーズに目を奪われる。それを言葉にするには難しいけど達観性と言ったらいいんだろうか。いつかまたみたい。あとは最近Morandiが気になるみたい。
夜はスーツ姿の井上くんと合流し、ナチュールのワインバーBAMBINOへ。パリには意外とこういう場所は少ないようで、NYや東京に来た感覚になった。韓国人と日本人がやけに多かったこともあるかもしれないけれど。そうそう、MerciもBAMBINOもそうだったけど、新しいカルチャー系の場所に行くと必ず韓国人の若者に会う。でも日本人にはあんまり会わなくて日本経済の停滞を感じる。その後ふらふらと歩いて、左翼の人たちがあつまるパブと本屋を散歩。井上くんと話しつづける夜が、とにかく楽しい! 

■某日
念願のお花を買った。家にお花を生けると安心する。あと画材を買った。パリでは、井上宅に1ヶ月間もお世話になるので、生活が始まって嬉しい。綾介に至っては、おでかけの計画を立てる気もなく、ほおっておくと毎日のんびりと3人分の朝昼晩ごはんをつくり、洗濯に食器洗いと、家事をして1日を終えようとするので、日本の日常と変わらなさすぎて、ツッコみたくなる。

■9月14日阪神優勝!おめでとう!
阪神タイガースが18年ぶりに優勝をした!わたしは名古屋生まれなので、落合監督が好きだったし、実のところ阪神はなんとなくイライラする存在であったが、井上くんはファン歴18年。パリでも時差に負けず、虎テレから目を離さない。小学校高学年のころ、死者が出るほどに道頓堀に飛び込んで歓喜する姿をニュースで見た時、ここまで人の心を震わせるものは一体なんだと感銘を受けてファンになったそうだ。セーヌ川に飛び込んだらどうかと提案しつつ、帰宅後に優勝ポスターを描いてプレゼントしたら、とてもとても喜んでくれた。わたしもちょっと岡田監督のファンになってきた。

昼はポンピドゥセンターで写真の企画展と、マティスなどをみたあとに、この小さな街に沈んでいく夕日を眺めたりした。


■早起きと、Nicolas de Staël
その後を振り返っても唯一となる早起きをして、朝9時にカフェへ。8時半の起床でさえ体がものすごく重いのは、「今日こそ寝よう!」と言いながら井上くんと語らいすぎて夜が永すぎるから。毎日深夜まで飽きることなく数時間にわたっておしゃべりしている。(何を話していたのか、もうちょっとメモしておけばよかった。)南仏で感じたのは、バカンスの民たちは本当に永遠とおしゃべりしているということだった。何かをするわけでなく、ただカフェで永遠と。口数少なき綾介といると少しそれが羨ましかったのだけど、たぶん今の私たちはほとんど同じ風景をつくっている。

さて、カフェに向かうとき、井上くんの通勤自転車がとてもかわいかった。エメラルドグリーンのビンテージロードバイクで、後ろに全く同じ色のプラスチックケースが取り付けてあり、ブレーキチューブがオレンジに仕立ててある。友人からとても安く譲り受けたそうだ。そうそう、この街には私がずっと探しつづけているプジョーのビンテージロードがごろごろあって、羨ましい。

この旅珍しく午前中から活動しているので、そのまま市立美術館へNicolas de Staëlの企画展を見に行くことにした。初日の熱のある空気のなかで見る展示はなかなかいいものだ。それに、一部屋一部屋とNicolas de Staëlの生涯を追従していくことは、生涯かけて彼が追求してきた「絵とはなにか」という鍛錬そのものを見ることであった。激渋系の作家として、自分の師匠である長谷川先生を思い出したりもした。後期に描かれたボウルに入ったレタスの重力のなさは、ずっと脳裏に記憶されるんだろう。どんどん精度が上がっていく画面を象徴したような一枚だったと思った。しかしどこにいっても日本に同じく美術館は老人ばかりだと寂しさもあった。帰り道セーヌ川のユンスルが美しかった。
夜は郊外にて、Bartabasという著名らしい人が演習した馬をつかったモーツァルトのショーを見に行った。パリで生のオケ!と心踊っていたからこそ、演奏も、なにより馬に乗るのは1名以外長髪ブロンドヘアの白人と、すごく微妙だった。でも「すごく微妙だった」とブツブツ言い合いながら、3人で帰宅するのはいい時間だったね。


日本食パーティ
今日はマルシェで日本食用の野菜を調達。ERINGI,SHITAKEなど。K martで豆腐などもゲット。大根も食べたかったけど高いし、しなびているしで断念。こっちで日本食のおいしい野菜を見つけるのはすごく難しい。で、カミーユと友人がやってきて一緒に日本食ホームパーティをした。言語もうちょっと頑張ろう…!と思った日。

■祝日
クリニャンクールの蚤の市に行った。数百年前からここにあったと言われても驚かない風貌のパブにて、ローカル感たっぷりなオジサンに「ビールにミントを入れるか?」と言われ、郷に入ったら郷に従えかなと試したけれど、かき氷シロップのようなケミカルな緑色をしたその液体は、なかなかおいしくなかったが、それもよかった。
古本屋でAlex KatzとHockneyの画集を買ってほくほく。しかしこの街はどこにでもプジョーのビンテージロードがあって、心底うらやましい。どれも本当にかわいいし、こんなに色や種類があるとは知らなかった。この日はたくさん歩いた。スポーツバーで、ラクビーの日本戦を見る予定が時間を間違えていて帰宅、鯵の南蛮漬けをまたつくる。ほうれん草のおひたしも人気だった。その後家からすぐのスポーツバーに出かけてみたけれど、イギリスを相手に、前半はなかなか互角だったものの、後半ヘディングでパスが回って、笛が鳴らないのか、、という戸惑いのなか点を取られてしまい、そこから失力してしまった。敵チームを応援する客たちの絶妙な愛想にも消化不良になった私たちは、家でスクラムを組んで遊んだ。

■某日
絵を描く。ぜんぜん、いい絵が描けなくて悩んでいたが、まあ描くしかないかと思った。夜は井上くんの高校の同級生、宮澤くんに会った。日本のサラリー生活の空気に一気に引き戻されて、ちょっと戸惑ったりした。4人で出かけたPolidorは、わたしのお気に入りの古きフレンチ食堂だったが、どうやら5年前くらいに経営が変わり、内装も綺麗に。おいしかったけれども以前の老夫婦が営んでいる空気はなくなっていた。1845年から続く店のようで、きっとそうやって新陳代謝を続けて今に至るんだろう。新築の建物の方が珍しい、地震のないパリらしいことなんだろうか。

■Research Day
ギャラリーをいくつか回った。Semiose Galleryという大きいめのギャラリーが特に気に入って、たくさん画集を買ってしまった。NYでリサーチをした時にも思ったが、美術館の展示本よりも、ギャラリーが出版するインディペンデントな画集の方が、作品の撮影も印刷も満足いく質のものが多い。こちらでも日本でも本屋には売ってないことが多いから、自分が本屋をやるならば、まずはメガギャラリーの画集は一通り扱うなどしてみたいと思った。
そして今日は、ホリデーギフトに制作させてもらったハンカチの色を確かめるために、田口&メメさんに再会。ハードな旅程に風邪をひいたりして大変そうだった。旅先でいつもの人たちと会うのは嬉しい。ハンカチは結構いい感じ!