2ヶ月間の旅のはじまり!

「急に冬になったみたいだね。」バスの後部座席から聞こえてきて、やっぱりそうなんだ、と思った。すっかり冬みたいなパリから帰ってきたら、東京も同じくらいに寒い。
そう、2ヶ月ほどヨーロッパを旅していて、昨日東京に帰ってきたのだ。2ヶ月も!と驚かれたあとは、必ず旅をしている理由を聞かれる。それっぽい理由を話すこともできるかもしれないけれど、一番しっくりくるのは、この言葉。神様がくれた長いおやすみ。1996年放送の大ヒットドラマ「ロング・バケーション」の台詞に由来する。


南:いつになったら出番が来るんだか。何やってるんだろう、私。一日中パチンコやってた。
キムタク:こういうふうに考えるのだめかな?長いお休み。
南:長いお休み?
キムタク:俺さ、いつも走る必要ないと思うんだよね。あるじゃん。何やっても、うまくいかないとき。そうときは、なんていうかさ、神様がくれた長いお休みだと思って、無理に走らない。あせらない。がんばらない。自然に身をゆだねる。
南:そしたら?
キムタク:よくなる。
南:ほんとに?
キムタク:たぶん。

なにかを見つけるときこそ、自分でがんばらない。自然に身をゆだねる。
これはこの旅に限らず、焦ったときこそ言い聞かせてきた今年1年を通じたポリシーでもある。というのも、今年4月、30歳を目前にして、学生時代から8年ほどリードしてきた自分の組織を後継し、10年かけて取り組んできた教育という専門性を手放すという、いささか大きすぎるほどの人生の節目があったからだ。それで決めていたあらゆることを、もう一度、"未決定"に戻してみることにしたのだ。
と言いつつ、これから先は、、、と考えことは何度も何度もある。この大きな節目は、高校生くらいの頃から積み重ねてきた生きる上での指針や価値観を、その基礎から揺らがすようなもので、動揺も大きかったから。なんだかんだ、とても好きな教育学の研究者を目指すのか、やっぱり現場なのか、今見えてきている新しい世界の片鱗へ飛び込むのか、はたまたーー。でも結局、脳内はまとまらず、声をかけていただいたことも、博士課程の願書を取り寄せることも一旦やめて、すべては未決定のまま、その不安と心地よさに身を委ねて、ヨーロッパに降り立った。「わたしは不器用だから、持っているものを全部手放してみないと、見えないことがあると思う。」そんなある友人の言葉に支えられながら。


でも実際にそうやって、わたしはまだ知らないところへ旅をする必要があった。なんどノートに未来について書き殴ってみても、具体的な職業や組織はどれも完全にはしっくりこなかったけれど、自分が驚かされる方へ行く、それは自分が未知と感じる方へ行くことだ、ということだけは確かなものだと感じていた。


そして思い切って流されるには、それなりの時間が必要だと思った。1ヶ月では一瞬かなと思い、旅の前夜まで本当にいいのかと悩みつつ、17歳を迎える老犬と小鳥を友人と実家に預けて、2ヶ月間日本を離れることにした。 実際、2ヶ月という期間は、数日間の旅のように目的をはっきりと持つことが難しいからこそ、面白かった。ヨーロッパは内陸を横切ってどこへでも移動できてしまうから、あまりにも多くの選択肢があり、だんだんと、なんのためにどこへ向かっているか、ふわふわしてくる。そうやって流されていくことが心地よかった。点と点を移動するのではなく、追いかけ、流され、私たちの後ろに線ができてゆく。


まだ、旅と日常のはざまをふわふわしたまま、わたしのロング・バケーションをここに綴っていきたい。 ちなみに今回訪れた場所は、ロンドン、パリ、南仏、バスク地方。2ヶ月にしては、たぶんかなり少なめで、パリは友人宅で1ヶ月間ゆっくり過ごした。 そしてヨーロッパを選んだ理由は、絵を見るためと、会いたい友人たちが住んでいるから!絵を描くほどに、国内の画家よりもNYやヨーロッパの画家に、色彩感覚や描いている主題の近さ、インスピレーションをもらうことが多い。とりわけ生きている、すなわち同時代の感覚を共有している画家たちの絵が見たくて、2度NYには足を運んだので、次はヨーロッパかなという感じで選んだ。


では、まずはロンドンから!